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久しぶりに「テレマルク大作戦」を見た。昨日夜にドイツの放送局で放送された。
実際にあった、リューカンの重水工場サボタージュ事件を元にした映画で、撮影場所もテレマルク地方の
リューカンが中心になっている。主人公の教授が出てくるシーンは最初はオスロ大学。ただオスロ大学のあの校舎は法学部が使用しているはずだが。
そのほか気になった点は:
・アンナのセーターの柄がちょっと雑すぎる。もっときっちり模様を編みこむはず
・断崖をスキーでジャンプして着地するときに、足がほとんど揃っている。この時代のビンディングは、こうした着地をすると衝撃ではずれてしまったはず。
・ストックを2本使っていたが、仲間のテレマルク出身者は本来なら棒1本で滑るんじゃないか。教授にそれをやれとも思わないけれど。
テレマルクの雪の中はともかく、オスロの中心街でも、今の冬のノルウェー人とあまりファッションに差がないように見えたところがおもしろかった。アノラックはみな木綿だったようだ。今でもそのタイプを売っていないこともない。南極探検時に使われたアムンゼン・モデルというのがあるので、それが延々と最新のテキスタイルになって受け継がれているからだ。
それにしても、ドイツ兵たちと会話をするシーン、原版で見ても英語だから判断できないだろうけれど、本当は何語で会話していたのだろう。当時のノルウェーはドイツ語を話せる人は相当数いたということだが、静かな反抗ということで、あえてドイツ語は話さなかったと言われている。尋問ではノルウェー語を辱めるからと、望んでドイツ語を話した人たちもいたそうだが。
*ノルウェーの小中学校では、4人に1人が必要な補助を受けられていないという調査が教育改善委員会から発表された。これには学習の遅れから特殊教育に至るまでのすべてが含まれている。
ノルウェーは1992年に統合教育実践を採択し、視覚障害・聴覚障害・言語障害以外の養護学校を閉鎖した。そのため、どの学校にも障害のある児童がいると言ってもよいが、身体障害の場合には建物自体に不備のあるところが大半で、知的障害児の授業・指導も十分とは言えないとされた。また採択時にはそれほど意識されていなかった発達障害児童については、最近になって民間の特別支援学校が設立されてはいるが、そこでも専門の教育を受けてきた教師やスタッフが不足しているほどなので、全国規模で見れば、各校に十分なエキスパートを配置できないのも当然と言える。
それだけでなく、難民として受け入れられ、生活している児童の言語、ノルウェー文化への理解も十分とは言えないとされ、加えて学習進度に遅れが見られる場合の補習も完全とは言いがたいと調査では結論された。
そのため、個々の児童に不足しているものは何か、何を補うべきかを、学校ごとにきちんと対応していくよう教育法が改正される。担任教師、養護教諭、および自治体の他の福祉サービス機関とも連携するカウンセラーが話し合いして企画していくが、医学的な見地からの意見を必ず取り入れるようにというのが、改正委員会の提案に盛り込まれている。
この改正案以前には、小さな村の複数の小学校が統合されて、地元の学校に通えない生徒が増えているという不満もよく採り上げられた。しかし教師の数も一気に増やすわけにもいかないし、専門知識を速成するわけにもいかない。細やかな指導をしていくためには、ある程度の集中化もしかたないのかもしれない。
*デンマークで、児童心理医2人が「マーティンのおじいさんが死んだとき」という児童書を出版した。マーティンという子供が、祖父が倒れ、入院し、ケア施設で過ごしつつ亡くなり、葬式に参列する流れを順に追っていく本だ。(Hans Reitzel Forlag; "Da Martins bestefar doede")
現代のデンマークでは子供たちに死や病気について語ることは不健康とみなされている。50年前までは、子供が葬式に行くのは普通のことだったそうだが、この20年ほど、そうさせない家庭が増えた。
作者である児童心理医たちは、その傾向をよくないことと考える。5,6歳の子供でも、生死について考えることもあれば、死による急激な家庭の変化を迎えることもある。幸いそれが成長してからのことであっても、子供のうちにきちんと考えて準備をしておかないと、喪失したものに対して対応ができなくなると強調している。
この本は学校や家庭での教育にも使えるよう、指導書付きだ。二人の作者はこの本の前にも、「お母さんが心を病んだ」「パパとママがけんかしたら」など、子供が身辺で起こる大きな変化に心の準備を促す絵本を出版している。